クリティーク●言ってクリ!

2012/07/23

ニブロール 『SEE/SAW』

ニブロールの 『SEE/SAW』を見た!大傑作!

評=榎本了壱

20日、ヨコハマ創造都市センターで、Nibrollのダンス 『SEE/SAW』を見た。ニブロールは、常に何かを強く訴えかける衝撃力のある作品を発表し続けているが、今回の「SEE/SAW」はその中でもベストワークと評していい素晴らしい作品だ。前半は4人のダンサーによる、いかにも矢内原美邦の振付けらしい動き。日常の仕種とトリッキーなムーヴメントを美事にフュージョンした暴力的で被虐的な、しかしリリカルなダンスだ。それは、時間と空間を正確にプログラミングした、高橋啓祐の幻惑的な映像とリレーションをとりながら進行する。さらにはスカンクの機械音のような無機質でミニマルな音楽が、じわじわとそれを強力にサポートしていく。何気ない、しかし決定的な記憶への回帰と、それほど遠くない死への戦慄、抵抗、あるいは共鳴。動くことで解体してしまいようなダンサーたちの肉体が、生への希求から死へ至る危機感をも呼び起こしていく。
後半は、スズキタカユキデザインの、黒いコスチュームの18人の若いダンサー、アクターたちがぞろりと登場して来る。ここで前半の「生」のモチーフが一転「死」のテーマへと移行する。日常のプロダクツが飛翔して永遠に飛び去っていく映像の中で、彼らはあらん限りの声を絞って叫び続ける。世界の終わりに立ち会っているような絶望と、しかしそれでも林檎の種を蒔こうとするような若々しいアンビバレンツ。ヨコハマ創造都市センターのギリシャ風な白い巨きな列柱が、死を祀る斎場にも見えてきて、彼らの熟練していない動きや発声が続く。それがかえってダンス作品という既成の完成度を拒絶しながら、リアルで真摯な答えのない行為の連続から、切ない程の共感をオーディエンスに投げかけて来る。
矢内原美邦はまた一段と成熟している。そして高橋啓祐とのコラボレーションは、Nibrollというユニットを、確実にインターナショナルな地平へと、ライジングさせた。必見の作品である!
8月12日(日)まで。ヨコハマ創造都市センター

www.nibroll.com

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2009/11/11

川崎徹著 『猫の水につかるカエル』

今年1番の本!
川崎徹著 『猫の水につかるカエル』 講談社刊

評=榎本了壱

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川崎徹著
講談社刊
定価1,600円+税

川崎徹さま

『猫の水につかるカエル』は、贈っていただいてすぐ讀みました。
感動して、どう手紙を書くか迷っているうち時間が経ってしまいました。
まず、『傘と長靴』に出てくるホームレスのエノモトさん登場で、
ぐっと近親感を禁じ得ない状況で、読み進みました。
公園猫と、父の死と、父の記憶の、構成が見事で、緊張感があります。
しかも父の通夜の一夜は、イタリアン・ネオリアリズムの映像を見ているような、
ドキドキするものがありました。(…)

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2008/08/14

康本雅子さんインタビュー最終回! ③/3

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2008/08/13

<書評> 『ポスト消費社会のゆくえ』

『ポスト消費社会のゆくえ』
辻井 喬・上野千鶴子
文藝春秋(文春新書 633) / 2008年
 

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評=榎本了壱

 上野千鶴子さんから本『ポスト消費社会のゆくえ』が送られてきた。上野さんには毎年『御教訓カレンダー』を送っているので、著書が出来ると送っていただいている。『おひとりさまの老後』もいただいた。この本は超ベストセラーになったけれど、私は『ポスト消費社会のゆくえ』に驚愕し、感動した。すぐに感想が書けないくらい、呆然とした。(…)

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2008/07/04

特集:コバルト爆弾αΩインタビュー(前半)

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文=藤沼 亮

 DTM環境の浸透がもたらしたのはDSP処理によるコンプレッサーとイコライザーによる音圧の強度であり、定位こそ違えども、メジャーもインディーも包摂した「帝国」的J-POPがテクノ-ハウスのキックと同じ音圧で鳴る環境なのだと思う。
 都市の高層ビル群はこのとき巨大なプレートリバーブで、皮膚は四六時中音波を触覚し続ける。その終わらないリバーブ成分はこう囁いている。「買え」「買って死ね」と。ただそれだけを反復し続ける街のサウンドスケープに日夜さらされて生きていくこと。サブリミナルに僕たちは情報戦の前線に放り込まれている。ここでは一発の銃声も悲鳴も聞こえない。より大きく、より強く、つまり、より多く「売る」ために肥大化した低音が反響し続けるだけだ。都市とは最も成功したダブミックスなのだろうか。
 UDXやヨドバシカメラに端を発する商圏の変動が典型的なジェントリフィケーションであることは、中央通りを境界として東側に再開発が集中し、西側に未だ怪しげで素敵なパーツ屋が残る路地があることからも明らかだろう。その境界で、飽和した情報化社会と暴走する市場原理の戦争-祝祭が内側から自壊した。2008年6月8日の秋葉原での出来事をそう捉え直してみる。(…)

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2008/06/11

特集:遠藤一郎×愛☆まどんなインタビュー①

Vol21

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2008/04/30

<<レビュー>> 古川日出男×(虹釜太郎+鈴木康文)ギグ@渋谷 O-nest

生くる言の波を増幅する音の波。
古川日出男×(虹釜太郎+鈴木康文)を体験する。


2008年1月18日
KIASMA Vol.19 @渋谷O-nest
古川日出男×(虹釜太郎+鈴木康文)


評=吉田アミ

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photo:Wataru Umeda

言の葉ではなく、言の波のよう。
 
 
はじめて古川日出男の朗読パフォーマンスを体験した瞬時。そう思った。朗読? はたしてそれだけと言い切れるのか。口舌パフォーマンス? 違う。流転する言の波。だから、ロックンロールだ。それでいいと思っていたんだ。
 
 2008年1月18日。渋谷O-nest。この日の古川日出男の朗読パフォーマンスは一夜限りのスペシャルとして、音楽家の虹釜太郎、鈴木康文とのコラボレーションライブとなった。二人は『ハル、ハル、ハル』(河出書房新社)刊行のときに、記念して作られたリミックスアルバムを担当し、その楽曲の中で、古川日出男の朗読は二人の手によって響き、拡声され、裁断され、変形され、前後左右を縦横無尽に移動し、再構成され、音楽になり、解け合っていった。剥奪された意味の中で、朗読はヴォーカルだった。読者に読ませるだけでは飽き足らない古川日出男が導き出した、小説とは違う言葉のかたち。それが今回のパフォーマンスの礎になっているのは明らかだった。コラボレーションの名は古川日出男×(虹釜太郎+鈴木康文)。

 第一声。間髪入れることなく、音。
観客のざわめきは一瞬にして潜める。

圧倒的だった。
その存在感。

 古川日出男の声に闘うように音が散乱する時、ほとんど奇跡のようにそこは古川日出男の物語の内であった。古川日出男×(虹釜太郎+鈴木康文)の独壇場。私たちは固唾を呑んでステージを注視せずには居られない。ただ、耳を、眼を拓き、囂々と流れ込む音に声に叫びに意味に翻弄されていれば良かった。それが、とても心地好かったのだ。抗うな。と、音が飛び込んでくる。ざらついた、まとわりつくようなノイズ、異国のループ、寸断される電子音…それらが次第に融合するでもなく、霧散するでもなく、めいめいに、ほうぼうに、実に自由に。自在に。空間を占拠した。(・・・)

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<<批評>> TIF'08 『スリー・スペルズ』

未知なるものへの跳躍

東京国際芸術祭2008

『スリー・スペルズ』
振付:シディ・ラルビ・シェルカウイ、ダミアン・ジャレ
2008年3月21日(金)- 3月23日(日)
にしすがも創造舎特設劇場

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(c)Arnold GROESCHEL

評=三橋 輝

 ダンスに何を求めるか。何とも身勝手な物言いから書き始めてしまったが、先日のダミアン・ジャレ+シェルカゥイのダンスを見て以来ずっとこの問いにつきまとわれていた。果たしてこの問いにはどのような答えが適切なのだろうか? 投げかけられた問いの向かう先が、発信者自身であるのだから、その答えを安易に他者から受け取ることはできないだろう。それに加えて、そもそもこれは「問い」の形を装ってはいるものの、十全に「問い」の形式を成していない。注視するまでもなく、この言葉は、結局のところただ一人の個人的な欲望に関わる話に過ぎないのだから。 
 例えば東京のストリートの片隅からパリのガルニエまで。世界中に在るダンスの数だけ、とりあえずのその答えはあるだろう。つまりはダンサーたちの数だけその欲望の答えはあるだろうし、逆の側、「観客たち」の方を見やれば、その視線の数だけ答えはあるだろう。要は、ダンスが世界に在る限り、その答えは幾度も幾度も繰り返し生成されていく。欲望の答えとはせいぜいがそのようなものだ。
 だが、時としてこうした欲望への返答は、投げかけられた欲望の対象を通り越して一つの同時代的なるものへのパースペクティヴを与えてくれることがある。その為には、まずは三つのダンスを振り返ってみなければならない。
 配布されたプログラムにはアルトーの言葉がエピグラフとして掲げられていた。「踊ること、それは神話を受け入れること、したがって神話を現実に換えることである。」この言葉が何を意味するのか? それは『スリー・スペルズ』という題の下に行われた三つのダンスが、アルトーの一義的な言葉通り「神話なるもの」を回収可能な物語へと変換=メタモルフォーズさせるというテーマに沿っていたということが言える。(…)

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2008/03/11

<<書評>> 寺山修司 幻の1冊ついに現る!

寺山修司 未発表歌集 

月蝕書簡
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田中未知編
岩波書店(2008年2月刊) 
定価1800円+税



評=榎本了壱

 少年時代の俳句から始まり、短歌、詩、ラジオドラマ、演劇、映画と、様々な表現領域を越境しながら、ノマドのように47年を疾走した寺山修司。今年は彼が亡くなって25年目となる。各地で展覧会や、演劇、映画祭など数々のイベントが準備されている。私も、俳句の町松山で.世界上演5番目となる、市街劇『人力飛行機ソロモン』のプロデュースを担当する。そんな没25年の最初の大きな仕掛けが、私たちの目の前に驚愕とともに忽然と現れた。寺山修司未発表歌集『月蝕書簡』である。(…)

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<<書評>> 香山リカ青春グラフィティ『ポケットは80年代がいっぱい』

医学生が『HEAVEN』 の編集者になる

評=榎本了壱

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精神科医として膨大な著作を発信し続ける香山リカさんが、1980年代の青春グラフィティとでも呼ぶべき、時代史と半自叙伝的な要素で織り上げた、ほろほろと心に届く追想録だ。(…)

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