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2008/06/12

特集:遠藤一郎×愛☆まどんなインタビュー②

Vol2


インタビュー前半・ライブペインティングの映像はこちら

●● 遠藤一郎 & 愛☆まどんなインタビュー後半です●●


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◆ 純粋に“いい絵”を描きたい!

――こっからはあいまーに聞いてみたいんだけど、あいまーの描く女の子は直視出来ないっていうかかわいすぎるんだよね、で、ゆえにセックス出来ないセックスシンボルだと思ってるんだけど。

愛:かわいいっしょ?

――例えば今のエロゲーとかアニメのキャラの眼球(の描き方)って、目の焦点が合わないっていうか、どこを見ているか分からないんだよね。でもあいまーの描く女子は、すごくこっちを見てる(笑)。

Aihon1_2 愛:すっごい見てるでしょ(笑)。

――あいまーの描く子たちは、なにがしかの“内面的なもの”があって、オタクの萌えるポイントなり線を外してくる。けどこっちからはこの子達が何を考えてるかも分からないのね。なんか不機嫌だったり、何かを隠している気がする。中学んときとか、突然不機嫌になったりする女子っていたじゃない? そういう“思春期の内面”が描き込まれてる気がするんだけど。

愛:そうだね、だいたい14歳~19歳を意識して描いてるよ。多感な時期の 女の子。でも不機嫌ではないよ。私は女の子を描く上で常に可愛く描いてあげよう~って気持が強い。可愛い可愛いって描きながら興奮してるし。絵の中の子は見てくれる人の事好きなんだよね。「夢中になってね☆きゅぴん」みたいな。あと大抵、台詞みたいな言葉が入るんだけど、それは絵が出来上がると自然とそういうふうにしゃべってるような気がするから、その言葉をそのまま書いてる。

――そっか、ぶっ飛んだこと言うけど見てる人のことは好きなんだ(笑)。

愛:夢中になってね、っていうか、おいでよ、ってゆうか。なかなか心を開かない人にも、あたしには開いてもいいよ、って言ってるし、全てを許してあげるっていう、聖母的な愛があるんだよね。自分自身も描いてて癒さAi851_4 れてるもん(笑)。

――「なんで男子って胸ばっかり見て、馬鹿じゃないの!」、っていうような、苛々してる印象があったんだけど。

愛:そう、口では胸ばっか見ちゃってさ、って言うんだけど、女心ってそういうとこあるじゃ~ん(笑)。

――例えば村上隆が、スーパーフラット、徹底して眼差しを受けるだけの受動的な表象、表面でしか存在しません、みたいな女性像を、オタク文化から戦略的に取り込んで、それが現代を語るキーワードの一つになったりしてるけど、そういう潮流に対して、見てる人を見返してくる女子を描くってのは面白いよね。

愛:ありがとう。村上隆さん……私は超不勉強なんでそこんとこあまりツッコめませんが、女の子の絵を描く女性作家は結構多いよね。もちろんカイカイキキにも私と同世代の女の子の作家も多いし、同じように日本独自のマンガ・アニメ文化の影響受けたり取り入れてる画風も見受けられるし。でも私の事話しててもっとも良く登場するのは同世代の女性作家よりMr.さんが多いけどね(笑)。

――自画像っていう意識は無い?

愛:よく言われるんだけど、意識はないかな。でも、理想の美少女像だとは常に思ってる。女の子はこうあって欲しいとか、こうあるべきだ! みたいな。絵の中の女の子で“愛ちゃん”って名前の子がいるんだけど、その子には特に思い入れが強い。親が付けてくれた“愛”て名前が一番いい名前だと思ってるから女の子にもつけてあげた。

――「加藤愛」と「愛☆まどんな」で気持ちの切り替えってあるの?

愛:ここ最近やっと、自然と切り替えが出来てきた気がする。路上ライブペインティング始めた時は模索してたし周りが見えなかった。自分のことも良く分からなくて結構悩んだ。でも今は明らかに加藤愛と愛☆まどんなは違うと言える部分がある。愛☆まどんなっていうのは“バンド”なんだよね、だから私ひとりで描いてたってダメで、一郎君やDVJのコバルト爆弾、モデル、応援してくれる方々、秋葉原って街、ひっくるめて愛☆まどんなが存在する。お客さんを楽しませたい! ってゆうレクリエーションの想いが強い。加藤愛は自分を見つめてるとき。絵との対話で画面との勝負だし独りの戦い。そして今こそそれをしなければならないと思ってる。でもトータルで、ここまで気持ちを高めさせてくれたのは本当にプロジェクトのお蔭です。

――ブログのちょっと前のトップページの写真で、青いGO FOR FUTUREのパーカー着たやつがあって、その写真が、すごい動きのあるショットなんだけど表情はすごい穏やかな顔してたのね。場はすごく盛り上がってるのに醒めてる感じがして、意外とクールに現場を見てるんだなって思った。

一郎:なんていうか、目が醒めてる方の“醒めてる”でしょ? それはすごいよく分かる。

愛:そうなってきたのは最近。最初本当Aihon2_3 周りを見ないで描いてたから。前は家に籠もってずっと描いてたっていうのもあるけど……毎週行かなくちゃいけないっていう責任感もあるし、見てる人と一緒に楽しみたいっていう意識は強くなってきた。

――見てる人を楽しませたりすることと、自分が楽しむことの間のギャップみたいなのってある?

愛:全然何を描こうっていう構想がなくて、お客さんを前にして描き始めたらこうなったっていう感じ。単純に、笑顔の女の子を描いたら喜ぶかなとかこういう服を着てたら盛り上がるかなって、秋葉原的に結構生まれてきてる。

一郎:愛ちゃんはね、最初は自分の描きたいものと、秋葉原のライブペインティングで描くものと、秋葉原で見てる人達に向けたメッセージとか、その辺の違和感は始めの頃は悩んでたみたいだけど、そこはもう越えてるよね。そんなちっちゃい事よりも、自分はあそこでどういう存在で、どういう役目を担ってるかっていうところだよね。

愛:やっぱね、純粋に“いい絵”を描きたい。今の美術って、純粋にいい絵を描きたいっていう思いで回ってるかなって思うと……やっぱひねくれてたりして、どっちかっていうと無いと思うんだよね。私はね、“いい絵”を描きたいと思う。



◆ ふつう研究所から秋葉原Live Paintingへ

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ふつう研究所~世界のみなさんこんにちは~

――ふつう研究所について聞きたいんだけど……ポレポレ東中野でやってた「ドラクエ」って、ちょっと馴染めないなって思ってたのね。きっとみんな孤独だったり、行き場の無い怒りだったり、ドロドロした人生を引き受けながら、あの“合奏”があったと思うんだけど、ああいう、仲間と一緒に作品を生み出せるふつう研究所がまぶしすぎた。それに対して今の秋葉原のライブペインティングは、割とすんなり受け入れられるんだよね。一人で生きようとしてる人間も入っていけるおおらかさがある。そういう意味でふつう研究所と、今の秋葉原ライブペインティングの間で少し変化があるように思うんだけど。

一郎:基本的なスタンスは変わってないと思う。そもそもふつう研究所って名前も、僕の家の机の上に、ふつう研究所って書いてあったからで……世の中で“ふつう”っていうのが逆に変わったものとして見られたり、ゆがんだもののように見られたりっていうのがずっと続いていて、普遍的なものまでゆがんでいるように思われてて。そうじゃない本当の“ふつう”っていうのを伝えていきたいと思った。その時は一人だったんだけど、卯城竜太と林靖高二人が俺の部屋に来て、それを具現化しようってなって。一番始めに、“ふつう”って何? って考えて、それは俺らが力を合わせて、未来へ行くことだ! ってなって、“世界のみなさんこんにちは”って言ったり、“世界”って言ったり、要はGO FOR FUTUREっていうのは変わってないとは思う。でもさっき言ってた、秋葉原の方はすんなり入れて、ふつう研究所は入 れなかったっていうのもわかる。ふつう研究所って、組織化されてたっていうか、組織化っていっても大したものじゃなかったけど、なんていうか 、ちょっと宗教くさいところが見え隠れした部分もある。必要なことをやってたとは思うんだけど、そんなところで入りづらい部分は出てたんじゃないかなって前から思ってた。まぶしいっていうのも、あまりにもストレートに、 団体で毎日夜代々木公園に集まって、ド下手なオーケIchiro1ストラを、せーの、でやるクサさとか、一生懸命さとか、やってる俺らはすごく楽しかったし、みんなに伝えるにあたって、必要なことをド・ストレートにやったから、まぶしすぎるっていうのも分かる。でもそのストレートにやるということを伝えたかったし、ストレートな表現を“まぶしすぎる”と捉えてしまう現代人の問題にもふれて欲しい。

――じゃあ逆に、人が素直に表現しようとするときのエネルギーを、素直に受け止められない人間もすんなり入っていける秋葉原のライブペインティングの秘密ってなんなんだろう。

一郎:ポレポレの時は、そういう世の中に対して、そういうのを素直に受け取れよっていうメッセージがあったからね。ある意味、そこが俺らのエゴだったんだと思う。今のGO FOR FUTUREも同じスタンスでやってるつもりだけど、あれを素直に受け入れられない世の中に対してさえオープンになってるんだと思う。

――そこが、「ドラクエ」をやるのと、GO FOR FUTUREって直接的にメッセージを出す違いになってるのかな。初めて見たときにいいなと思ったのは、車に“未来へ”って書いてあったことなんだよね。この直球メッセージってさ、90年代が無理にクールだったり、皮肉だったりっていう態度が若者文化の身振りとして主流だったけど、もうそれが機能失調に陥ってる、あるいは人生のやり過ごし方としてすら無効化してしまったこのゼロ年代に、“未来へ”っていうストレートなメッセージを発信するのって大事だと思ってるのね。

一郎:そうだね。もうまんま真っ黒なところに突っ込んじゃってるし、そこでオブラートに包んで遠回しに表現するより、もうやるっきゃねえだろうって。俺も90年代のその悶々としたところで生きてきたからよく分かるけど、それに今も、まだそういう悶々としたところで生きてきたやつが表に出てきてるわけだから、そういうところに、当たり前なんだけど、素直に、まんまド直球にやってしまうコミュニケーションみたいなのが絶対必要で、今やっとかないとダメだと思う。今そこできっかけ作って、次に繋げて行かないと、ホント100年後とか200年後ヤバイぞって。だからね……未来へというやり方はずっと変わってない。ドラクエの時も演奏が終わった後、全員で「未来へ!!!」って叫んでる。それは単純に今と昔の方法論の違いだけ。その時は2、30人の団体でやってたから、面白おかしくやらなくちゃと思ってたし、ずっと前からやりたかった「ドラクエ」のあのテーマを、ド素人のオーケストラでやるっていう……みんなバカだったし、美大行ってる奴いなかったし、でもそういうやつらでも、精一杯やれば人を感動させることは出来る、それを信じなくちゃダメだろうと思ってた。だからすごいまぶしく見えたんだろうけど。俺、一人でいた時期は多いけど、一人でやっても仕方ない、何にも出来ないって素で思う。あんな風に描けないし、ギター上手いわけでもない、じゃ、もうこのまんまやるしかない。ホントやるしかないんだよ。ものすごい弱い人間だから、次、次ってスパッて行けないし……でかい声使うし、体使うし……それは結果かもしれないけど、今自分が出来るギリギリのところがやっぱこういう形に、自然になってるのかも知れないな。

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◆ 点々と灯される光

――あの秋葉原のライブペインティングっていう“場”自体が、一郎くんの“作品”だとしたら、自分は何も出来ない無力な存在で、だけど何が出来るんだろうって考えたときに、とりあえず剥き出しの、等身大の自分をさらけ出すしかないっていう、それがあの“場”の懐の広さを生みだす鍵なのかな。全然格好つけてないじゃない。背伸びしてないというか、自分たちの出来る範囲で出来る力でやってる。例えば、ダンスミュージックを聴こうと思ったら、音のいいクラブなんていくらでもあるけど、でも15ワットのフルレンジ一発の小さなアンプで、あの秋葉原の街頭で踊ってる方が面白い。ああいうカッコつけなさと誠実さ、そこが偉大だと思う。

一郎:あそこの場がそういう雰囲気になってるとしたら、すごく望んでたことだし、それがすごいやりたい事。いいものって、人に伝えなきゃいけないことってこういう事だろって、後に残さなきゃいけないのってこういうのだろうって、そういうのを信じてやってる。伝えるっていう作業って実はすごく難しくて、色んな手段を行使してやるんだけど、最後はド・ストレートにやって、後は信じるしかない。

――メッセージが伝わってる、っていう手応えはある?

一郎:結構あるね。始めは僕と愛ちゃん二人でやってて、最初は愛ちゃんが一人で描いてて、共感してくれる人が段々集まってきて、離れる人もいて……今はまあ結構な世帯になってきた。

愛:いいよね。自然とまとまってきたっていうか。

一郎:なんか手応え感じるよね。

愛:自分自身が手応えを感じてるっていうことは、見てる人も感じてくれてると思う。

一郎:俺さ、歴史とか、どんだけの奴が今の俺らに繋げてきてるんだって思うと、やっぱ“使命感”みたいの出てくるのね。ほんと遡れば、形のないものから、細胞分裂して俺らに繋げてきてるし、その結集体だし。きっと、小声で、「未来へ、未来へ」って言ってるんだよ。じゃないとさ、恐竜の時点で絶滅して、ここまでこないでしょ。あそこから今ここまで来るにはさ、なんか相当な意志みたいなのが無いとこないと思う。

――その使命感を巡って聞きたいんだけど、今の話だと、一郎くんの動機は、原子一個から進化してきた、その力というか意志というか……そのバトンを繋げなきゃ、みたいな感じなの?

一郎:そう、自分で何か新しいものを作るっていう感じはない。それで今こうして、バトンを受け継ぐことが出来なさそうな時代に生まれちゃったから、ちょっと派手に頑張んなきゃっていう気持ち。それをたまたまって思わず、やるために生まれてきたんだよって思うようにしてる。たまたまだと、何かなーなーになっちゃうから。最近“未来へ”って言い始めて、なんか当たり前な話だけど……共有しなきゃと思っていて。本当に共有できる、唯一のことだと思うんだよね。“愛”でも無い。やっぱ“未来へ”。現代で、ひとつ決定的な問題としてあるのは、コミュニティの細分化ってことだと思う。家族とか、仲間とか、広く言えば国家とか、それは生きるためには必要だと思うんだけど、そこにいると、やっぱそれぞれのコミュニティの秩序とかルールが出来て、その秩序の違いで争いが生まれる。だから、今、その細分化したコミュニティ同士を繋ぐっていうのが、この100年の俺らの仕事だと思う。そう思うと、今のところ“未来へ”しか思い浮かばなくて。その一個の共有で、多分すごい変わると思うんだよね。今もどこかでドンパチやってて、真っ黒だけど……今東京で“未来へ”って言い始めて……最近パラパラと“未来”っていう言葉を聞くようになったと思う。俺がここでやりはじめたからってわけじゃないけど、ちょっとづつ、点々と、光が見えて来てる気がする。何か、自分の仕事精一杯やったりだとか、そういうのだけで人ってどんどん変わっていくと思う。そういうことで、光を灯すというか、少しづつ明るくなっていくと思う。そういう繋がりを信じてる。

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5月26日 新宿・ルノアールにて


■ Profile

遠藤一郎 Endo Ichiro/未来美術家

1979年静岡県生まれ。10代よりパフォーマンスライブを始める。活動はメッセンジャー。主に絵、映像、DJ、デザイン(多摩川カジュアル)など。作品はすべて直球と気合いでやりぬきます。ふつう研究所所長を経て現在は未来美術家を名乗る。表現者の企画・バックアップなどを行うNATURAL HI!! Freedom communicationを設立。「GO FOR FUTURE」のもと世界へ向けメッセージの発信を目指す。

NATURAL HI!! http://natural-hi.info/

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愛☆まどんな ai-madonna/絵描き

自作の美少女キャラを中心にナンセンスな世界を描き続けている。固定されがちな“アート”と“オタク”のカテゴリーに囚われず見ている人々へエネルギーを発信できるような作品作りを心がけている。現在、NATURAL HI!! 遠藤一郎企画のもと“愛☆まどんな”と名乗り、秋葉原の路上や各種イベントを中心に早描きパフォーマンス・LIVE-paintingを実践中。2004年「こたつ派2」/ミヅマアートギャラリーにてデビュー後、現代美術家・会田誠氏を通じ展覧会やイベントなどで作品を発表してきた。会田氏とのcollaboration作品「愛ちゃん盆栽」は代表作のひとつである。その他国内外のアートフェアへの作品出展やグループ活動などで発表の場を広める。作風は主に“らくがき”が中心であり、洋服や身近な生活用品、家の壁、会議室など、普段の生活により密着したモノや場所へ閃くままに描きまくる。その他、立体、アクリル画、自作マンガ、グラフィック、アニメーションなど、制作内容は多岐に渡る。

HP: http://www.ai-madonna.com/

愛☆まどんな作品集『AKIHABARA』
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