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2008/02/26

<<批評>> 伊東 篤宏 SOLO EXHIBITION + Live Performance

ALIVE ART MATSURI Vol.3 
「伊東 篤宏 SOLO EXHIBITION + Live Performance / SOUND & OBJECTS」

2008/2/17(日)
三上寛 + 伊東篤宏+伊東Solo live

BankART Studio NYKホールにて

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写真:Ryu Itsuki

評=藤沼 亮

08年2月17日、横浜BankArt。よく響くコンクリートのキューブ、あそこのリバーブは一体何秒あっただろう。あのとき鳴っていた音を名指す言葉を未だ持ち得ずに、キーを叩く手が論理の先を走る。このテクストを走らせる、未だ名を拒みながらわたしの別の声を引きずり出す、三上寛と伊東篤宏の共演を巡って。

2月9日に新宿の映画館でジムオルークと大友良英と勝井佑二の共演を聴く機会があった。いい演奏だったが、一抹の寂しさを覚えたのも事実だ。明確に調性感のあるマイナーのアルペジオを弾き始めたジムに勝井のヴァイオリンと大友のE-bow(たぶん)が重なったときの響きは端的に音響として美しかった。「調和/協和」の相のもとで為された演奏それ自体の価値を全否定しようというつもりはない。しかし、演奏において共に在ろうとすることの別のかたち、決して赦しあわないものが共に在ろうとすること、そのような演奏を問うてみたい。「共に在る」ことがとても難しい時代に、であればこそ、共に在ることを問い抜くことが生の喫緊の課題として要請される。そして、このとき私が念頭においている「演奏」が高柳昌行と阿部薫のデュオであることをまず差し出さねば、三上と伊東の共演が投げかけた問いを、明らかにはできまい。(…)

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写真:Ryu Itsuki

時間の上で生起する有限な現象が存在であり音であり、『解体的交感』における高柳と阿部はそれぞれ異質な時間を生きる(『集団投射』『漸次投射』は、少し違う性質の演奏であると考えているのでここでは取り上げない)。時おりフィードバックや弦の振動の減衰を確かめるように音を引きずる高柳と、早いパッセージのストップアンドゴーで吹き続ける阿部は、違う時間を並走させ、そこで発生する軋轢と摩擦と激突とで、時計とBPM(均質な定間隔の連続-反復)を殺そうとしていた。存在の基底を問い直すこと。音楽の、幾つかあるうちの、一つの限界。このとき演奏する二人はいかなる合意ももたれあいも協和も不協和もない時間と地平において、ただ立っていた。

そこで何が終わったのかはわからない。ただ、あれは確かに一つの限界-終わりであり、そのような限界において生起するかくも美しい孤立とすれ違いをインプロヴァイザーの共演の一つのモデルとして措定するとき、三上(この場合、三上は狭義の「インプロヴァイザー」ではないけれども)と伊東のデュオは、高柳と阿部が達成しつつ排除した共演の別の可能性を聴かせてくれた。終わりのあとを生き延びるための、別のやり方を。

グレッチをジャズコーラスに直結した三上の、ややもすれば泥臭いマイナーのコードストロークの刻みを、リズム的にも響きの上でも攪乱する伊東-オプトロン(プラス気合いの直列エフェクター)の非楽音。あくまで私の印象だが、三上が奔放な抑揚で曲を再構築するのに対して、伊東がそれを受けて仕掛けていく、という場面が多かったと思うのだけど、それが予期されたフリージャズ的感応と崩壊と再生を見せることもなく、三上は三上で自分の曲を全うし、伊東は伊東でそれに応えた。オプトラムでの、端正とすら言えるリズムと展開で応えるでもなく、ましてや調性において応えるでもなく、彼らはただ音の強度において、強度を以て応えていたのだと思う。コールアンドレスポンスが宴会芸のようなものに堕するのに対し、三上と伊東の応答の作法は、ただ強度に対して強度で応えた。ほとんど殺しあいのようなものであり、そしてその殺しあいの中においてのみ為し得る他者への慈しみがあるなら、それはあの晩の三上と伊東の共演であり、そのようなアポリアにおいて、彼らは演奏していた。オプトロンの最強音に対し、音域においてその上を行った三上の、本当に耳を疑うような異様に歪んだファルセットが交錯した瞬間の響きを、『解体的交感』の、少し曲がった延長線上にあって、音楽史のifにおける別の未来で交わされた友愛と、こう言ってよければ連帯の一つの可能性として聴き取ること。

音はただ音でしかないにも関わらず、あそこで鳴っていた音がそのような問いを仕向ける。あのコンクリ打ち放しの空間の残響が何秒あったのかは知らないが、この問いは続く。


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写真:Ryu Itsuki

イベント詳細:

ALIVE ART MATSURI Vol.3 「伊東 篤宏 SOLO EXHIBITION + Live Performance / SOUND & OBJECTS」
2008年2月16日(土)・17日(日)

BankART Studio NYKホール

企画・プロデュース:小沢康夫
主催:プリコグ
提携:STスポット
協賛:タグチ
音響設計:稲荷森健
助成:横浜市創造的芸術文化活動支援事業


http://precog-jp.net/

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