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約束の船
この極めてシリアスで、スリリングな事件に立ち会おうと、
100名近い立ち見の客がでるなか、8月31日午後7時30分、
「約束の舟」はゆるゆると動き出した。
於:シアタートラ
50年に1度のデュオダンス「約束の舟」は、しずかに、おだやかに、互いを確かめるように、いたわるように、進んでいった——
黒沢美香と木佐貫邦子、二人は20代前半の4年間、ともに庄司裕のもとでダンスを学んだという過去があったとしても、ダンスの現在を知る人であれば、何であの二人がデュオダンスをと、首を傾げるくらい、二人のダンスはいまや乖離している。どう乖離しているかといえば、木佐貫は先端的な要素を果敢に開拓しながらも、あくまでダンスムーブメントを重視した、強靭にしてエレガントなダンスオーソドックスのなかにいる。黒沢は、すでにダンステクニックは重視せず、自分のなかに記憶されている微細で異形な身体的出来事を大切につないでいく、ヒューマニティに重心を置く。と、私は観察している。
この「約束の舟」は、つまりいってみればまさに「呉越同舟」なのだ。ダンスという同じ領域にいながら、異なる領土に生きる二人の、しかしお互いが果たせなかった夢を、相手がともに実現しているという、奇妙な入れ違いの現実も認識していたと思う。つまり、黒沢美香の進むべき道を今、木佐貫邦子がたどっており、木佐貫邦子が目指そうとしたダンサーの生き方を、黒沢美香が体現しているということである。ということは実は二人のなかには、現れ方は違っても、不可分の同種のダンスエレメントが同梱されているのだ。
互いのなかに、仮想の自己を見つめ、捜し当てていた二人だからこそ、それを拒絶することなく素直に受け止めて、「約束の舟」に乗り込んだ。「同舟」する理由はそれと、近年、病いによる身体の限界をお互いがリアルに感知したこと、それしか見つからない。この極めてシリアスで、スリリングな事件に立ち会おうと、100名近い立ち見の客がでるなか、8月31日午後7時30分、「約束の舟」はゆるゆると動き出した。
このダンスには一つのルールがある。形式を重視するというよりも、遊びが崩壊しないための約束のように。上手中ほどにダンサー(初めは黒沢)が出てきて立ち、それからまっすぐ舞台を横切って下手の面(ツラ)に出る。ここがダンスのプレゼンテーション・エリア。黒沢は黒いデコラティヴなドレスで、ジョゼットの膝丈のフレアスカート、顔は白塗り裸足。黒沢らしい奇異でチャーミングな、奔放でデリケートな、絶妙な間を生かした動き。それを確認するように、追うように、重ねるように、同じく黒の、裾の短いパンタロン姿の木佐貫(ほとんどノーメイク)が登場する。衣装も色を揃えているだけでスタイルが異なる。輪唱のような、連歌のような連続性のなかの差異性。同じようなモチーフを、それぞれの考え方、手法、体の特性、嗜好で動く。当然のことながら、連鎖していくヴァリエーションは、全く異なるダンスとなって、ルーティン・ワークのように繰り返されてゆく。
ケータイの呼び出し音、虫の音、かすかな日常のノイズが、時々現れて、静かで穏やかな無音の舞台を確認させる。セットは一切なし。二人はやがてピアノ曲で輪唱が重なり、関係を持ったデュオダンスが始まる。二人の動きのなかに、棹(さお)を持って舟を動かす動作が潜む。ギュッギュッギュッと、裸足の皮膚がリノリウムをこする音が生々しく、「約束の舟」は出奔する。
こうしたルーティンの構造のなかで、中盤、ほとんどフラットな明るい照明のなかでダンスが進行する。これはまるで、スタジオでリハーサルしているような、ダンスを構築していく現場のレアな空気を見せるような、作品価値というよりも、製作プロセスの二人のコミュニケーションを開示するような、そんな状況が続く。このシーンの動きのなかで、二人のそんな認識を裏付けるような一文を、黒沢はパンフレットにこう記述している。
——同じように木佐貫の腹を抱えてずるずる後進する時、こんなにまでくっついて息も鼓動も両手で聞く柔らかい腹にぎょっとする。この腹が木佐貫なのか。
——こんな二人にしか分からないフィジカルでメンタルなコミュニケーションを交わしているのだ。あのスレンダーな木佐貫の腹が柔らかいのか!と、私はその文章に奇妙に感嘆した。
また、ストロボライトが点滅するなか、円形の対極に立つ二人が不動で対峙している場面も、すでにダンスではなく、スピリチュアルな会話を光線のように投げかけ合っているものと解釈すれば、二人のこの舞台は極端に言えば、ダンスはきっかけであって、結果としてダンス作品にならなくてもよかったのかもしれない。
ここで彼女たちが大事にしていることは、もはや決定的なダンスを創ることではなく、決定的に生きてきた二人のダンサーが、穏やかにダンスを介してコミュニケーションすること、そのことに観客たちは陪審員のように立ち会うことを求められているようにも思えた。しかし二人のデュオは、結局最後まで近づくこともなく、いや、木佐貫の側からは、黒沢へ理解と友情をもって近づこうとしていたようにも見えたが、結果的にはあきれるほど決定的に異質なダンスに終始した。なるほどそれほど二人は、いまや融合しようのないほど、極めて個性的なダンサーであるという証拠かもしれない。
ともあれ作品至上主義、技術至上主義、つまりは表現至上主義で進行してきたダンスの世界に、ダンスとは何か、ダンサーとは何か、という問いかけをダンサーが発する、そんな稀有な舞台だと考えてみると、納得もできるだろう。
しかし、表現至上主義のダンス世界に対するやわらかな異議申し立て、ダンスからの新たな意味の創生を目論む公演であったとしたら、最後のムーブメントには疑問が残った。シーリングに溜まったスモークが白く彼岸の雲のように輝き、それを見上げながら二人揃って舟を漕ぎ出し、下手奥にフェードアウトしていくシンボリックな演出表現。これこそ二人が小さい頃から慣れ親しんだ現代舞踊に見られる、極めて常套的なロマンチックな終わらせ方ではないか。これは、二人の懐かしいジョークか、それともインプリントされ、蓄積してしまった恐るべき化石燃料の噴出だったか。
黒沢美香は時々、みんなの知らない現代舞踊的常套手段を使うことがある。意識的にか無意識的にかは知らないが、古臭い表現主義的技法を取り入れ、なにやら重厚でぺダンチック(衒学的)な雰囲気をうまく醸成してしまうことがある。現代舞踊のなかには時々とんでもない表現が飛び出して、それがある種、芸術舞踊としてのたたずまいを見せてもいたのだから、ずいぶん面白いものもあったのだ。しかしその表現競争に終始してしまったがゆえに、ダンスが果たさなければいけない新しい命題に応えきれず、現代舞踊は停滞してしまった。いや今でも、体育系大学の舞踊教育は、こうした拘束から抜けきれないでいるようにも思う。
黒沢美香は、お腹のなかですでに現代舞踊を踊っていた。母親の下田栄子は美貌の妖艶なダンサーで、劇場にも大きなつばの帽子を冠ってドレスアップしてくるような人だった。父親の黒沢輝夫はダンサーとしての実力よりも、指導力のある人といえるだろうか。どちらにしても父親の体型、母親のダンスセンスをDNAとして受け継いでいる。
以前、花輪洋治作品「サーカス」を東京文化会館大ホールで上演した時、私はその台本・構成をしたのだけれど、それにまだ高校生だった(と思う)黒沢が参加していた。東上線常盤台駅の平岡志賀舞踊団稽古場でのリハーサル。黒沢はいち早く振りを覚え、一度覚えた動きは確実にクオリティを上げていくのにビックリした。年表を見ると8歳で全国舞踊コンクール3位に入って以来、1位を3回も獲っていて、まさにミカちゃんは自他共に認める天才少女だったのである。このまま成人しても、現代舞踊界で堂々たるスターダンサーになるのを保証されているようなものだった。
黒沢のパンフレットに書いている自己紹介(プロフィール)に、もう一度戻ってみる。
——芸は少女漫画のように厳しく仕込まれあれこれの受賞暦は他に類をみない数があります。踊りは上手いには上手いのですがダンサーらしい体型をしてないコンプレックスから人と違う踊り方をするようになったのが異端の始まりです。
——一方、同じ自己紹介を木佐貫はこう書いている。
——23歳でソロデビューした時、取材の折に「何ダンスですか?」と問われ、「兎のダンスという歌があるが、そのダンスを『何ダンスか?』と問う人はいない。つまりキサヌキダンスです」と生意気に応えたのですが、今思うと冷や汗したたりますが、しかしあれほどに自分のダンスを力強く表現しようとしたことはその後ないように思います。——
私が最初に「お互いが果たせなかった夢を、相手がともに実現しているという、奇妙な入れ違いの現実」と言ったのは、このことであえる。
木佐貫は1981年、23歳で全国舞踊コンクール1位入賞、現代舞踊協会新人賞をW受賞している。つまりこの年の新鋭トップダンサーに踊り出る。しかし『黒鳥伝説オディール』それに続く『てふてふ』のソロシリーズを始めると、自分は単なるダンサーではなく、キサヌキダンスを踊るアーティストなのだと自認する。確かに『てふてふ』シリーズの何度目かを見た時、木佐貫は舞踏の世界に行ってしまったのではないかという印象を持ったほど、モダンダンスのメソッドから離れ、独自のキサヌキダンスを模索している最中だったように思う。現代舞踊、モダンダンスといった既成のパラダイムからいかに脱出するか、それが木佐貫の命題だった。
一方、黒沢も1982年全国コンクールで4度目の1位、現代舞踊協会新人賞をW受賞している。その直後、ポストモダンダンスの残り火燃えるニューヨークへと研修に出る。当時のダンスの聖地ニューヨークで、自らのダンスを立て直そうと試みる黒沢に対して、木佐貫は独自のダンスクリエーションに固執する。その間、10年、15年。
帰国後の黒沢美香のダンスには、アメリカンダンスの匂いがした。いまでも、首の傾げ方、肩の使い方、片足を上げてぶらっとバランスを崩す動きなど、後期ポストモダンダンスのニュアンスを残してはいるが、明らかに独自のダンスクリエーションにたどり着いた感がある。本来ならモダンダンスの中心的なダンサー、コレオグラファーになってしかるべき黒沢は、そのダンサーらしからぬ体型から、独自の異端の(?)ダンスワールドを切り開く必要を感じ、それに成果を上げつつある。
他方、木佐貫邦子は、キサヌキダンスに拘泥することをやめ、さまざまな手法を自分のものとしながら、ブリリアントなダンスオーソドックスにたどり着こうとしている。つまり二人はお互いに用意されていた互いの帰着点に、それぞれが今、入れ替わって立っているように思うのだ。
この「約束の舟」では、黒沢美香が終始先行して自由に動いていた。これは黒沢がダンスを踊るという使命を引っ込めて、黒沢美香の存在証明をするだけでよかった自由さに対して、木佐貫邦子は、ダンスクリエーションを通して自己証明しようとする拘束感。その差が全体の流れを支配していた。言い換えれば黒沢は極めてマイペース、木佐貫は二人の齟齬を埋める苦心に奔走する。黒沢が天才ピッチャーで事件発生者、木佐貫が秀才キャッチャーで事件処理係のように見えてくる。
デュオダンスと銘打っているだけに、二人はほとんど舞台にいて、干渉しあいながら時間が進行していったが、二人の徹底したソロを挟んでもよかった。見たかった。あるいは最初のプレゼンテーションで、互いのスタンスをもっと明快にしていれば、「約束の舟」はダンス作品としてのクオリティをもっと上げることが出来たはずである。そこがともかく残念だ。と思いながらも、久々に私が長々と、ダンス評を書きたいという気持ちになったのは間違いないことで、彼女たちのメッセージが、ダンスという形で温かく伝わってきた、その証しだと今は思う。拍手!

振付・出演 黒沢美香 http://www.k5.dion.ne.jp/~kurosawa 木佐貫邦子 http://www.kisanuki.jp/
Posted by 出入自由 on 9月 2, 2007 at 05:58 午後 クリティーク●言ってクリ!, ダンス●ダンスはスンダ? | Permalink
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さて、NYを中心に活躍するクリエーター達によるウェブサイトJ-COLLABO.COMを立ち上げました。その第1弾がオープンいたしましたのでご案内いたします。2〜3ヶ月毎に、作品をどんどん増やしていく予定ですので、お時間がある時にチェックしてみて下さい。
http://www.j-collabo.com
宜しくお願いいたします
J-COLLABO (NY アート/デザイン)
投稿 J-COLLABO | 2007/09/04 11:32:33
黒沢美香氏も木佐貫邦子氏も、二人とも知っているので、
楽しい記事でした。
刺激になりました。
私もがんばろうと。
投稿 shizuko | 2007/12/01 22:19:38