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2006/05/18

「国際ダンス映像祭」と「Video Dance 2006」

石井達朗 評

どういうわけか、この5月は、数日間にわたり開催されるダンス映像についての充実した特集が、2つもある。一つ目は「国際ダンス映像祭」と題され、六本木のP-Houseで5月1日から6日まで連日。二つ目は彩の国さいたま芸術劇場で5月12-14日と、19日―21日の6日間に開催される「Video Dance 2006」。

-Houseのものは、さいたま芸術劇場のものと比べるとずっと規模が小さいが、ふだん見られない面白そうな短編が揃っている。5月2日の「The Tel-Aviv Cinematheque」と5日の「Moving North」 にP-Houseという小スペースに出かけた。「The Tel-Aviv Cinematheque」は、イスラエルの6作品、「Moving North」は、アイスランド、フィンランド、ノルウェー、スウェーデン、デンマークからの短編が10作品である。

ダンスの記録を多少編集して映像らしくはしたものの、ほとんど「記録」に留まっているものがある一方で、最初から「映像作品」として撮るために劇場の外に出て、家の中や庭や街頭で踊ったり、あるいは逆に徹底して映像ためのスタジオ撮りしているものもある。2日間、さまざまな短編映像を見て感じたことが二つある。

一つは、イスラエルでは非常にクォリティの高いダンス映像が製作されているが、日本はこの領域についての意識がまだまだ低いし、ダンス映像として質の高いものを作ろうとするアーティストたちを助成するようなシステムが整ってないということである。ダンスそのものが面白いということがまず必須であることは言うまでもないが、実験的な映像作品として独り歩きできるだけのアーティスティックな内容のものがもっと日本から出てきてもいいはずだ。

もう一つは、とくに北欧のものには、よくお年寄りが登場し、彼らも踊りを踊って、作品の内容に厚みもたせることに貢献していることである。コンテンポラリーダンスといえばやるのも見るのも若者文化と化している日本でも、同じ社会の構成員である中高年層の人たちと共演できる方法論を模索すべきだろう。技術偏向でなく「何でもアリ」のコンテンポラリーダンスであるからこそ、それが可能であるはずだ。そうなったとき、コンテンポラリーダンスも社会に対してより開かれたものとなり、欧米のように多様な世代の観客を呼べることになるのではないか。

さいたま芸術劇場の「Video Dance 2006」にも3日間続けて通った。ここの6日間の映像はまさに驚くべき宝の山である。初日にはピナ・バウシュの舞踊団がダンス経験のない65歳以上の男女を使って『コンタクトホーフ』を作る過程のドキュメンタリーと、その公演を記録した映像を立て続けに3時間半にわたり見たが、まったく飽きるどころか興奮しっぱなしだった。これを見られるなんて、やはり映像ならではである。

堪能した作品が他にもう2作品ある。2作品ともLes Ballets C. de la Bによる。シディ・ラルビ・シェルカウイ振付けによる『Tempus fugit』とアラン・プラテルによる『Wolf』。両作品ともに言葉を失うほど衝撃的だ。字数は早、尽きてしまい、この内容の大きさと振付けの鋭さ、そしてそれらが示す方向性を今ここで語ることができない。ふだんどうしても美術や演劇や音楽に比べると等閑視されがちな舞踊であるが、今ダンスに何が可能かを他ジャンルが色あせて見えるほどに示してくれたシェルカイとプラテルに深謝したい。こういう作品に出会うと、微力ながらもダンスに関わっていられることを幸運に感ずる。

19日金曜日の午後6時からは、ピナ関連の5本の映像がある。これはすべての予定をキャンセルしても見に行く価値がある。

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