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2006/04/17

“山田せつ子 奇妙な孤独”

榎本了壱  評

『クルミの実のような記憶の中のまりも羊羹は・・・』

舞台にはアジア風フォークアートな木製の寝台が2脚。暗転になって明かりが戻ると寝台に寝ているなんて当たり前過ぎるなと思っていたら、下手のドアから強い明かりが差し込んできて、スーパーのビニールの買い物袋をかぶった山田せつ子がフラフラ、人間アンドン状態で出てくる。(おお!)空間は一転山荘のようなイメージに。空虚なでも充実した孤独(?)、しなやかで乾いたソロがしばらく続く。

ビニール袋を取るとクシャクシャ髪の毛をかき乱す。髪の毛を掻くというよりも頭蓋骨の内側の、脳みその中の記憶が彼女の頭を痒くしているような。そしてダンスは休息に入る。急テンポな音楽に変わって、アリスのような長金髪の天野由起子が、赤ん坊ほどのズタブクロを赤ん坊のように抱えて、精巧なカラクリ人形のようなスピーディな動き。ちょっと物に憑かれたようなヤバさ。

山田が乾いた成熟したクルミの実なら、天野のフィジカルはまりも羊羹。楊枝を一刺しすればプリンと緑色の羊羹が飛び出してきそうな勢い。しかし見ていると、それは一体だ。まりも羊羹(天野)は、クルミ(山田)の実の記憶の中の自分であることが見えてくる。クルミの実(脳みそ)は、まりも羊羹(記憶)の自分を頭をかきむしるように追想し、それがまりも羊羹(天野)のダンスを生み出していく。そして、過去の自分(虚像)と現在の自分(実像)のデュオ。

後半の山田のソロは寝台を立てて、そこにもたれるように佇むところから始まる。寝台は鹿の角の生えた巨きな古木のように見え、山荘を囲む森の精霊との再会を描き出す。そう、このまりも羊羹の追想を彼女(山田)に誘ったのが森の精霊なのだ。寝台の後ろには白骨化したような森の精霊のペニスが交差して屹立している。寝転がった山田が、足の指と足の裏とで愛撫し、静かな交情に入る。けれども森の精霊と交情したのは過去の自分だ。この時のソロが、序盤のソロと印象が重なる。ここでは枯れ木一本持って踊るだけでも、精霊との対話がもっと濃厚になったように思う。

そしてふたたびまりも羊羹(天野)の登場。しかし、前半ではクルミ(山田)が脳内をかきむしることによって、まりも羊羹のダンスが出現していったが、今度はまりも羊羹が、クルミの実の脳内で暴れまわり、かきむしり、クルミ自身を踊らせしめることになる。クルミの実とまりも羊羹の二つの像は接近し、重なり合い、一瞬一体化しそうになるが、そこまで。「奇妙な孤独」が、「奇妙」で「孤独」であり続けるためには、この時間の距離、虚像と実像が重なりようもなく遠ざかっている認識こそ、重要なのだ。

山田せつ子のエレガントでちょっと厭世的な立ち居振る舞いと、天野由起子のキュートでコケティッシュな動きの対比も面白いし、無音の中であれだけオーディエンスを引っ張れる山田のダンスセンスはさすがだ。2005年終盤ぎりぎりもうひとつ、ダンスの佳作が生まれた。

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