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2006/04/17

『match*マッチ』

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石井達朗 評

昨年と今年は「日本におけるドイツ2005/2006」(つまりドイツ年)ということもあり、接する機会の少ないドイツのコンテンポラリーダンスがいくつか来日している。印象に残っているのは昨年11月、青山円形劇場で公演されたコンスタンツァ・マクラス振付けの『バック・トゥ・ザ・プレゼント』とトーマス・レーメンの『モノ・サブジェクツ』。

とくに前者は、ポスト・サッシャ・ヴァルツの尖兵と言われるだけあり、歌あり踊りあり芝居ありゲームありの、雑多で猥雑なシーンをスピーディに展開してゆきながら、退廃とカオスのなかにも優しさを浮かび上がらせる傑作だった。これはいまだに忘れられない。後者のレーメンの作品は、それに対してまったく正反対の手法で展開する一種のメタダンス。徹底して冷静でコンセプチュアルなつくりなのだが、「演じる」という虚構をすっかり取っ払って、「自分が今ここにある」という事実と終始向き合おうとする。両者ともに日本のコンテンポラリーダンスにない方向性をもっていて、新鮮だった(強いて同種の傾向を探せば、前者はニブロール、後者は山下残というところか)。今年に入ってからはミヒャエル・タールハイマー演出のドイツ座の演劇『エミーリア・ガロッティ』の公演が、3月にさいたま芸術劇場であった。遠近法を活かした舞台も斬新だったが、なによりも超スタイリッシュな演出には驚いた。
そんなわけで、4月の世田谷パブリックシアターのドイツのコンテンポラリーダンス公演『match*マッチ』にも期待をもって出かけた。去年のマクラスともレーメンとも違い、これは相当緻密につくられた、一種のパフォーマンス作品である。若い男性と女性が出会って、恋をして、愛を語り、時が過ぎ愛は薄れ、浮気があり、破局があり・・・・というお決まりのプロセスを、寸劇とダンスを交互に交えながら展開する。かなりの量の台詞とダンス双方をしっかりとこなさなければならない二人のパフォーマーにとっては、骨の折れる作品である。映像が重要な役割を果たしていて、床や壁2面に投影されるスピーディな映像の変化に正確にシンクロしながら、2人の演技やダンスが進行する。台本・舞台セット・映像・演技・動きの振付けなどを密接にリンクさせながら、全体をひとつのまとまった作品にするのには、かなりの時間をかけたことと思われる。その結果、ダンスにも芝居にも即興のほとんどない、厳密な構成が際立っている。しかし、内容は残念ながら、ステレオタイプを地で行っているだけである。スキがないほどしっかりした構成で、見方によってはよく出来たマルチメディア・パフォーマンスといえるかもしれないが、ここに展開していることには想像力が少しも感じられない。ダンスやパフォーマンスアートも含めて何らかの芸術活動をするということは、こういうステレオタイプからこぼれ落ちる諸々の不条理や小さな闇に正面から挑むことにあるはずだ。『match*マッチ』は予測可能な整合性の連鎖に終始した。

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