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2006/04/18

森村泰昌 「卓上のバルコネグロ」(青幻舎)

Topic_morimura_dthumb 山崎信介 評

『詩的で、視的で、史的なモリムラ・ワールド』

美術家、アーティストという職業の人たちの中に、言葉、文章に関しても独特のリズム、語彙、表現スタイルを持たれている方たちがいる。その人たちのアート作品を鑑賞する機会を得られることも歓びだが、パンフレットの中のコメントやインタビュー、スピーチ、作品名のつけ方などを密かに楽しみにしている人がいる。森村泰昌さんがその一人だ。森村さんの文章や言葉は、高い論理性を備えながら、大阪人特有の絶妙な間のとり方、テーマの明快さ、比喩をたくみに使い、直球や変化球を投げ込んで、読者、観衆を魅了する。

その森村泰昌さんが新しい作品集を出版した。『卓上のバルコネグロ』(青幻舎)というタイトルで、なんと80年半ばに取り組んだというモノクロームの静物写真と、今回、新たに詩的エッセーを書き下ろして構成した作品集である。写真には、フォーク、ナイフ、骰子(ダイス)を積み重ねたオブジェ、あるいはベールのような網を被せられた花が写っている。その過去に撮り込まれた作品に、現在の森村さんの散文のような、詩のような言葉が折り重なる。

“ひとりでたたずむ花嫁になりたい。白いベールのもやの彼方にはなにが見えるだろう。永遠にやって来ない花婿の背中?”

この作品集は、したがって過去の作品へのオマージュではなく、森村さん曰く「2005年だから出版したい作品集」であり、氏の原点と現在を現す重要な記録となっている。

また、この作品集の出版に併せて開催された展覧会のトークイベントで、ゲストの詩人・吉増剛造さんが語られたことがとても印象的だったのでここに紹介しておきたい。

最近、偶然見つかったという瀧口修造(詩人・美術評論家)の撮影した写真(1958年・ヴェネツィア・ビエンナーレ代表団として渡欧した機会に撮影)を見て、吉増さんは驚きを持ってこう思われた。「瀧口さんの写真には獲物がいない!」
本来、狩人である写真家の撮った写真には「獲物」がいるのに、瀧口修造の写真の中には「獲物」がいないというのだ。確かに、会場でプロジェクターを介して写しだされた写真は、どこを中心に撮られているのかが曖昧な、それでいて穏やかで気持が落ち着くスナップ写真のような作品群であった。

今、改めて作品集『卓上のバルコネグロ』を読み返し、はたして20年前の「名画」「女優」シリーズなどの大作を創る前の森村さんが狙っていた「獲物」が、この中にあったのか?なかったのか?を想像しながら楽しんでいる。

森村泰昌『卓上のバルコネグロ』(青幻舎)3990円

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