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2006/04/14

“第5回アジアデザインコンペ”

榎本了壱  評

『コンペティションの怪』

いきなり私事で恐縮ですが、1970年代の後半から、私の半生はほぼコンペティションに捧げたといって過言でないほど、コンペを仕掛け、仕掛けたことに追っかけ回され、引きずられて来ました。日本パロディ展(JPC展)に始まり、JPCF展、日本グラフィック展、オブジェTOKYO展、URBANARTと手がけ、変わったところではエビゾリングショウや、現在も30年続いている御教訓カレンダー、2004年にスタートした東京コンペを今もプロデュースしています。

もちろん1回限りの小さなコンペもたくさんやっていますし、ミラノや、シンガポールまで遠征してやったり、年間で4本のコンペを同時進行したという経験もあります。こうしたコンペからは、日比野克彦、ナカノリユキ、ひびのこづえ、根之木正明、ヤノベケンジ、会田誠、長島有利枝、できやよい等々といったアーティストたち、変わったところでは、竹中直人、とんねるずといったタレントも登場してくるきっかけを作ってきました。審査員も多様で、インゴ・ギュンター、キース・へリング、アラン・チャン、亀倉雄策、粟津潔、横尾忠則、石岡映子、山本容子、寺山修司、山本寛斎、赤瀬川原平、糸井重里、浅田彰、中沢新一、村上隆、森村泰昌、果てはビートたけし(北野武)さんや、タレントの佐藤江梨子さんと、その数は優に200人を超えています。そんな経験豊富な私がコンペティションに抱く一言、それが「怪」です。

 第5回21世紀アジアデザインコンペの審査結果を見ていて、まず最初に感じたのがこの「怪」の一語でした。特に大賞受賞の作品を見た瞬間、審査員の皆さんが、このコンペティションの「怪」にやられた!と思いました。田中さお作品「知人 他人」は、もし森村泰昌さんのようなアーティストの作品であるなら、どんなに衝撃的な思索、あるいは試作であったことでしょう。しかし田中さんはまだ若い作家です。いや作家以前の若い人です。これは作家の仕事か、素人の仕事かで、極めて評価が変わってしまう、そんな作品だと思います。つまりアートが十分に分かっていてやったことか、分からないでやったものかで、その価値、意味は全く反転してしまうようなそんな作品なのです。

 話を少し全体の作品に戻しましょう。大まかに言うと汚い、変質的、自己露出、アウトサイダー系、エログロといったのもが目立ちました。これは多かれ少なかれ、日本のすべてのコンペティションに共通するものといってよいかもしれません。たぶん、審査員の皆さんは、作品を一巡して相当戸惑われたのではないでしょうか。そこから「怪」が現れだしたと推測します。

 押すべき作品がない、特に大賞たるものは、そのコンペを代表象徴するものであり、さらには審査員の見識として、これからの作品のありよう、作家の在りようを示唆するものであらねばなりません。「さて困った」と審査員一同は思った、はずです。そこでひとまず大方の作品作りの態度を否定するという「怪」に取り付かれるわけです。確かに田中さお作品は、他の作品と明らかに違った態度、その希薄さと、不確かさと、物足りなさ、無個性さが、過剰なエクスプレッションでうずまく作品群の、奇妙な、孤立した、小さな対極に写ったのかもしれません。作品を選ぶというよりも、選べないひとつの理由として、田中さお作品を反証としての例証に上げた、ということでしょうか。

それにしても、応募者はどのようにしてコンペティションを認識し、エントリーに踏み切るのか。前回の入選作品は大きなめあすになります。その点では田中作品は次回に相当な混乱を引き起こすでしょう。それから審査員の顔ぶれ。これもエントリーの態度の大きな鍵になります。しかも複数の審査員のバランスや、審美性が分かりや少なくてはならないでしょう。審査員のものの見方が分からないというのは、エントリーする側の大きな不安材料になります。コンペティションの「怪」、それは、コンペを組み立てるところからすでに現れだしているといってよいのです。

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